2020年08月31日

除虫菊伝来とライオンケミカルの歴史 -後編-

by ライオンケミカル株式会社

公開:2020.08.31 00:00 更新:2021.10.04 16:23

2020年で創業135年目を迎えるライオンケミカル株式会社。
長い歴史の中で様々な出来事がありましたが、前回は全ての始まりである除虫菊伝来の経緯と会社設立までを振り返りました。
今回は後編。
かとり線香の誕生から大量生産への道のりを紹介します。

1.かとり線香ができるまで

前回も紹介しましたが、かとり線香の原料となる除虫菊には、殺虫成分『ピレトリン』が含まれています。

明治の中頃、和歌山県有田市では除虫菊栽培が軌道に乗り、ライオンケミカルの前身となる『山彦除虫菊株式会社』『大正除虫菊株式会社』を含む多数の工場が、除虫菊を粉末にした『のみとり粉』などを製造販売していました。

のみとり粉は畳の下などに振りかけるのが基本的な使い方でしたが、いつの頃からか粉を火鉢に入れて燃焼させることでピレトリンを揮散させる『蚊の殺虫・忌避』としての使い方が広まり始めたそうです。

しかし、この使い方は定期的に粉を補充する手間があったため、しばらくして、半ねり状にした粉を長さ25㎝ほどの棒状にして乾燥させた線香タイプが生まれました。

棒状の線香は扱いやすい反面、燃焼時間が45分ほどしかありませんでした。

もっと長時間使えるよう改善策が練られた結果、ついに『渦巻き型』のかとり線香の誕生となるわけです。

燃焼時間が大幅に延長された渦巻き型は、消費者からも好評を頂くのですが、大量生産には大きな課題がありました。

渦巻き型は、長さ120㎝ほどの半ねり状のものを2本ずつ手作業で均等にグルグル巻いて乾燥させるという、製造方法が非常に手間と時間のかかるものだったのです。

様々なメーカーがこの難題に頭を悩ます中、ある人物が立ち上がりました。

それが『山彦除虫菊株式会社』の社長・上山彦松氏でした。

2.世界初の蚊取線香自動製造機、発明

上山氏は、水車を建設して製粉を増産したり、発電機を導入するなど、いち早くオートメーション化に取り組んだ先進的な人物。

明治37(1904)年からかとり線香の製造に着手し、続いてかとり線香製造の機械化に没頭します。

試作・改良を繰り返し、ついに40年後の昭和18(1943)年、世界初の蚊取線香自動製造機の開発に成功。

線香の生地を打ち抜いて2巻の渦巻き型線香が合わさった状態のものを大量生産するという画期的な機械でした。

この発明により大量生産体制が整う中、他メーカーでもかとり線香の製造に拍車がかかります。

有田市の栽培だけでは賄えなくなったため、各メーカーが北海道や瀬戸内海、九州などでも除虫菊畑をもうけ、大規模産業として発展していくかに見えました。

ところが、ここで予期せぬアクシデントが起こりました。

昭和16(1941)年に開戦した太平洋戦争です。

3.危機を救った合成ピレスロイド

戦争の長期化に伴い、日本各地で食糧や物資などが不足し始めました。

有田市でも食糧不足解消のため、除虫菊畑を食糧となる作物の栽培に切り替えさせられたのです。

戦後、除虫菊の栽培は再開されましたが、依然として食用作物の需要が多かったため、徐々に除虫菊の調達が難しい状況になっていきました。

新たなる難局を乗り越えるべく、のちのライオンケミカル株式会社である『大同除虫菊株式会社』(『山彦除虫菊株式会社』『大正除虫菊株式会社』が合併)は、昭和28(1953)年に住友化学工業グループの松井正直博士が開発した『合成ピレスロイド』にいち早く着目しました。

合成ピレスロイドは、ピレトリンに似た化合物。熱安定性がよく揮発性にも優れているうえに、除虫菊を栽培する畑・期間・人手も不要となるためコスト削減につながります。

『大同除虫菊株式会社』では、しばらくの間、天然除虫菊のものと合成ピレスロイドのものを併売。

合成ピレスロイドでも殺虫効果に遜色がないことを少しずつ世の中に広めたうえで、昭和34(1959)年に、全てのかとり線香を合成に切り替えて製造するようになったのです。

同じ頃、蚊取線香自動製造機の発明の素晴らしさが日本殺虫剤工業会にも伝わり、業界発展のために機械の特許を公開してほしいという要請が入りました。

上山氏らはその要請を快く了承。

他メーカーでもこの機械を製造できるようになったのです。

他メーカーの機械導入により渦巻き型かとり線香の生産量は爆発的に増加。

渦巻き型かとり線香は世界的発明として認められ、その後、国内はもちろん世界90か国へ輸出される日本の特産品となりました。

そんな中『大同除虫菊株式会社』は、昭和37(1962)年に『ライオンかとり株式会社』に改称。

かとり線香を世界に広めるきっかけを作った企業として、更に飛躍するべく新しいスタートを切ったのです。

2019年現在、天然除虫菊のかとり線香は、海外から原料を調達することで生産を再開。

合成ピレスロイドの線香とともに今もライオンケミカルの看板商品として皆さんに親しまれています。

『ライオンかとり株式会社』が『ライオンケミカル株式会社』に至るまでの道のりも実に様々な出来事があったのですが、それはまた、別の機会で・・・。

提供元:ライオンケミカル 株式会社

URL:https://www.lionchemical.jp/

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